「最後の宮大工」・西岡常一が教えてくれる、物を大切にする心

なぜ「最後の」宮大工なのか
この間、最後の宮大工・西岡常一さんの本をまとめて読んでいます。
西岡さんが「最後の」宮大工とされるのは、息子さんが跡を継がなかったということもありますが、それだけが理由ではありません。お弟子さんという意味では、小川三夫さんという方がいらっしゃいますから、「最後の」という表現はふさわしくないのかもしれません。
けれども、現在、お寺を作るのにふさわしい檜が日本国内には無くなり、頼りの台湾檜も潤沢には使えないそうです。そういう時代にあって、たとえ台湾檜であっても、(木単体ではなく)山を見て買い付けた檜を潤沢に使い、棟梁としてお寺を作ることができた。そういう意味で「最後の」宮大工が西岡さんなのだと思います。
資源を使い尽くした私たちの生活様式
そもそもこういうことになってしまったのも、私たちの生活様式が変わり、大量生産・大量消費によって資源を使い尽くしてしまったからです。
もっと大切に使って檜を残しておけば、今でも日本の檜でお寺が作れたのかもしれません。
そういう意味でも、物を簡単に捨てるのではなく、できる限り知恵を働かせ、その物に最大限活躍してもらってから、「ありがとう」と言って手放したいと思っています。
個人的には、断捨離ができないタイプなのですが、あるものをできる限り使う、不必要な新しいものを買わない、で、すっきりと生きていきたいと思っています。
参考文献
西岡常一、2003『木に学べ――法隆寺・薬師寺の美』小学館