脳のいびつな発達と「柔軟性」:加藤俊徳『高学歴なのになぜ人とうまくいかないのか』を読んで

学歴が高くて賢いはずなのに、コミュニケーションがうまく取れない人がいます。それは、受験勉強のために脳の一部を鍛えすぎた結果だと筆者は主張しています。筆者は「脳番地」という形で脳の部位を区分し、脳のMRI画像を分析した結果、脳がいびつに発達している人がいることを示しています。最悪の場合、うつ病や認知症のような症状を引き起こすケースもあるといいます。
高学歴であることが問題なのではなくて、脳がいびつに発達するということが問題なのだと思います。ただ、今日の受験競争を勝ち抜くためには特定の脳番地を鍛えることが求められ、そのことが脳がいびつに発達することにつながるのだと筆者は指摘しています。
「高校受験や大学受験に成功するには、言語による記憶を主体とする勉強を積み重ねなければならない。それによって、脳の左側頭葉(記憶系の脳番地)が発達する。つまり、偏差値が高ければ高いほど、左側頭葉が鍛えられていることになる。
左側頭葉だけが発達し、ほかは未発達といういびつさが、コミュニケーションをとる際に足を引っ張っている。そういうことを理解したうえで、周囲の人はうまくつきあい、当人であればそれに気づいてもらえたらと思う。」[加藤俊徳2015:5]
「脳の偏り」と現代社会の単調化
筆者は、「人間の脳は、誰でも総合力に大差はない」[加藤俊徳2015:16]と考えています。ですので、高学歴者の優秀さについて、「彼らの優秀さは、誤解を恐れずにいえば、ほかの分野の能力を犠牲にすることで成り立っている。ある能力を伸ばすためには、ほかの能力に目をつぶらなければならないからだ。天才と呼ばれる人の脳をMRIで診ると、発達していない脳番地が一般人よりはるかに多いことがわかる」[加藤俊徳2015:16]と述べています。
このように述べてしまうと反発を招いてしまうようにも思うのですが。高学歴者を否定するつもりはありませんが、脳をバランスよく発達させることが重要だとする筆者の指摘には学ぶべき点があると思いました。
人間は、未知の状態に遭遇した場合、自分がよく使っている脳番地を使う傾向にあるそうです。「鍛えていない脳番地を使わなければならない状況に遭遇すると、発達した脳番地を使って切り抜けようとする」[加藤俊徳2015:33]と筆者は指摘します。例えば、人から非難されたとき、言語が発達している人は言い返し、身体が発達している人は殴り返す、というように。そうやって鍛えていない脳番地は使われないまま、発達が遅れるということは容易に想像できます。
近代以前は、複数の脳番地を連動させて使うことが多かったといいます。農地の測量一つとっても、かつては実際に歩くという身体を介したものだったのに、今ではそのようなことは無くなってきています。そうして複数の脳番地を連動させて使わなくなったと筆者は指摘しています。
「近代化とは、複数の脳番地を連動させて使う生活を減らす過程でもあった。古代に幾何学が始まったのは農地を測量するためであったといわれており、距離や角度を測って面積を割り出すために人は歩いた。文字とはもともと手の運動によって書くものだったし、文章を声に出して音読する機会もずっと多かったといわれる。
中世、近世、そして近代から現代へと、文明が進歩するにつれて、脳番地をしなやかに連動させる使い方が減少してきた。新鮮な情報を取得する際にも、感情を動かすことがともなっていないのではないだろうか。」[加藤俊徳2015:68]
今の人間の生活は、複数の脳番地を使わずに、自分の鍛えた脳番地のみを使う生活になっているといいます。「脳の中では、無数の神経細胞が互いに結びついてネットワークをつくっているが、頻繁に使っている経路は太くなり、信号が通りやすくなる」[加藤俊徳2015:92]と言います。そして、その脳番地に特化して脳が鍛えられていくことになります。
「毎日、同じパターンの仕事をしていると、新しい脳の使い方は開拓されない。本人は日々、努力しているつもりでいても、じつは脳は停滞しているのである。」[加藤俊徳2015:92]
「何も刺激のない生活を送ることは、ジワジワとした脳の自殺に近いとすらいえるかもしれない。」[加藤俊徳2015:93]
受験勉強に限られないのだと思うのですが、同じ脳番地のみを使っていることは、「脳の自殺」に近いということになります。専門分化した現代社会では、諸個人が行うことが狭められていき、単調化していきます。高学歴者に限らず、「脳の自殺」に近い生活になってしまうことはあり得るのではないでしょうか。
このような単調な生活は、今日のような「開放系社会」では進行しやすいと言います。「多様化する社会、単調化する個人」[加藤俊徳2015:134]と筆者は指摘しています。生活が単調になっていって、多様な脳番地を使わないことから、脳全体が発達に支障を来しているのだといいます。
「こうした便利さにより、自分で整理整頓するチャンスを失っている。さらに、部屋や廊下を雑巾がけすることもなく、足腰を使わないから、空間把握の脳番地も育たない。
多様な脳番地を使うべきだという視点からすると、いまの世の中の流れは、脳の発達にとってはまったく逆行している。あえて強い言葉を使えば、認知症になるためのトレーニングを一生懸命やっているようなものだ。」[加藤俊徳2015:142-142]
特定の脳番地への偏りと「ほんとうの頭のよさ」
「得意なところを伸ばす」とよく言われますが、これは脳の発達という点では問題があるのかもしれません。「特定の脳番地ばかり鍛えるのは、極端な苦手分野を育てることでもある。スペシャリストを育てるつもりで、じつは自分のやりたいことしかやらない、ワガママな大人を育てているといえる」[加藤俊徳2015:143-144]と筆者は述べています。ゆえに筆者は、複数の脳番地を鍛え、連結させていくことが大切だとしています。
「特定の脳番地だけで突っ走ことは、ある意味、脳が発達過程で未熟だともいえる。なぜなら、大人とは、広範な脳番地を連結して扱える能力の持ち主だからだ。したがって、特定の脳番地しか使わないまま大人になった人は、自分の幼稚な能力に気づき、子ども時代に立ち返って脳を鍛えなおす必要があるだろう。」[加藤俊徳2015:146]
この「広範な脳番地を連結して扱える能力」が大切なのだと思います。筆者は、「ほんとうの頭のよさとは、柔軟性にほかならないのだ」[加藤俊徳2015:176]とも述べています。早い段階で特定の分野に限定して鍛えていくということは、大きな問題があるのかもしれません。
最後に筆者は、「医者の半数は自閉症スペクトラムか!?」[加藤俊徳2015:186]と指摘しています。「大学入試では、とくに言語能力に長けていないと高得点を積み重ねることは難しい。おのずと脳番地の発達に偏りがある「偏差値の高い人」が高得点をとることになる。つまり、医者に自閉症スペクトラムが多いのは必然ともいえるのだ」[加藤俊徳2015:186-187]と述べています。
脳全体を刺激し、全体として発達させていくことの重要性を学びました。
引用・参考文献
加藤俊徳、2015『高学歴なのになぜ人とうまくいかないのか』PHP研究所