教育文化経営学院

中田大地『ぼく、アスペルガーかもしれない。』ほか

障害を受容し、日々「修行」に励むということ:中田大地『ぼく、アスペルガーかもしれない。』(花風社、2010年)ほか。

中田大地

中田大地君の3冊の著作は、アスペルガー症候群と診断された小学生の手記です。大地君が小学校1〜3年生の時期に書かれています。

1冊目の『ぼく、アスペルガーかもしれない』の冒頭には、大地君と出版社の浅見さん、「ママ」との会話が掲載されています。

大地「自閉症って恥ずかしいの?」
浅見「自閉症は恥ずかしくないよ」
ママ「大地、自閉症は恥ずかしくないよ。恥ずかしいのは大人になっても自分でご飯が食べられないことだ」[中田2010:3] 

障害の程度には違いがありますから、「自分でご飯が食べられないこと」が必ずしも恥ずかしいことだとは言えません。あくまで、大地君の障害の程度から、お母さんはそのように言われているのだと思います。
「立派な大人になるために、きちんと働いて自分で自分のご飯代を稼げる大人になるために」[中田2010:7]とお母さんは書かれています。

自分にできる努力を精一杯続けていくことが大切なのではないでしょうか。だから大地君は、日々、「修行」に励んでいます。 

生まれたままの、「ありのまま」の姿では、生きていけません。定型発達の子どもも成長していけるよう努力を続けますし、それはアスペルガー症候群である大地君も同じだと、お母さんや大地君に関わる先生方は考えています。
その「修行」が、大地君は他の子とは違う、ということだそうです。大地君は、「出来ないことを自閉症のせいにしたら大地は失格ですから」[中田2010b:117]、「「人にアスペルガーだと言わない。アスペルガーを言い訳にしない」これだけは守ります」[中田2010b:126]と書いています。

大地君なりにアスペルガー症候群を受け入れて、日々、修行に励んでいます。

アスペルガーなのは父や母ではありません。アスペルガーは僕です。僕がアスペルガーとうまく付き合えないといけません。だから、母に泣きごとを言うのはやめました。栗林先生にゴチャゴチャとくだらないメールで泣きごとを言うのも止めました。全部、無駄なことのように思います。
 時々は、泣き言も言いますけど…。[中田2011:12]

小学校3年生になった大地君は、このように書いています。

診断名よりも大切な「自分の特性を知ること」

アスペルガー症候群は、発達の凸凹がありますが、「発達しない」というわけではないように思います。発達がゆっくりだ、という面があるのではないでしょうか。だから、アスペルガー症候群の子どもの場合でも、成長・発達していくための支援、介入が必要になるように思います。 

大地君は、自分の特性を自分なりに考え「僕の取扱説明書」を書いています。大地君の先生の栗林先生は、「好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なものを考えて研究することです。自閉症かどうか心配するより、そっちの方が大事だからです」[中田2010:116]と大地君に言われたそうです。診断名よりも自分の特性を知ることが大切なんだと思います。 

アスペルガー症候群は人間関係や想像力の問題というように、心理面が強調して理解されているように思います。けれども感覚過敏や感覚鈍麻等、身体面も無視できません。大地君の「僕の取扱説明書」にはその点への言及がいくつかなされています。 

僕は「お腹いっぱい」がよくわかりません。気がつくと、ついつい食べ過ぎてしまいます。[中田2010:42]

僕のチンチンは、急におしっこがしたくなります。僕は、ギリギリじゃないと、おしっこがわかりません。[中田2010:44]

光をまぶしく感じるといった身体の外部には敏感なのですが、満腹感や尿意といった、身体の内部には鈍感であるようです。他のアスペルガー症候群の方の手記では、「熱が出ていることがわからない」といった記述もありました。

過集中とパニックに向き合う

それから、過集中の傾向もあります。

遊んだり、勉強したり、トレーニングしたり……やりたいことはたくさんあります。でも、全部をするのはダメです。
僕は、疲れて壊れるまでやってしまいます。頭が熱くなり、エンジンの回転は遅くなります。[中田2010:49] 

どんなに勉強したくても、僕は決められたプリントだけをします。そして、六時で勉強はおしまいです。完璧でなくても、ママが「おしまい!」と、いったら止めます。[中田2010:64] 

勉強、トレーニングはやりすぎに注意です。本の読みすぎに注意です。PCのやりすぎに注意です。[中田2010:68] 

パワーが残っていて、「まだまだ、できる!」そう思っても、僕は時間が来たらやめなくてはいけない。[中田2010:70] 

大地君はそうではないのですが、アスペルガー症候群の方に見られる過集中の傾向が、ゲーム等に結びつきやすいという指摘もあります。 

このように冷静に自分のことを書いている大地君でも、パニックになることがあります。 

家で僕がパニックになると、泣いて、叫んで、暴れるので…いろんな物を壊してしまいます。ママが怪我をしてしまいます。暴れている僕を見て、妹たちも泣くそうです。近所の人が心配して見に来ます。僕がパニックになったら、家の中はもうメチャクチャです。でも、一回も怒られたことはありません。でも、一回だけママが泣いているのを見ました。ママは一人で片付けるので、終わるまでそこで見ていなさいと言います。
パニックになってしまったら、ママは僕を止めることが出来ないのが悲しいそうです。僕はパニックの時、自分がしてしまったことがわかりません。
僕は、パニックにならないようにします。
心配なことは相談することが大事です。いろんな人に聞くようにしています。[中田2010b:95-96]

私も、アスペルガー症候群の方がパニックを起こしているところに遭遇したことがあります。本当に本当に辛いものです。そして、大地君同様、成人した私の知人でも、「自分がしてしまったことがわか」らないと言います。

「いつもそばにいる人」とともに生きること

アスペルガー症候群といった診断がつくと、専門家の支援を受けることが勧められるように思います。もちろん、専門家の専門的知見は非常に有用だと思います。

けれども、専門家の判断を最優先すべき、と言い切れるものでもないかもしれません。大地君は次のように書いています。

「生きる」ことを教えてもらうには、一緒に生きている時間が多い人の方がいい感じです。[中田2010b:229]

パパやママ、先生たちは博士ではありません。博士でなくても、僕は頼りになるみんなだと思います。
めったに会えない博士より、いつもそばにいる人の方がいいと思います。[中田2010b:229]

私もアスペルガー症候群や発達障害の専門家ではありません。けれども、身近な友人の一人として、当事者の方々と関わっていきたいと思っています。

文献一覧

中田大地,2010『ぼく、アスペルガーかもしれない。』花風社
中田大地,2010b『僕たちは発達しているよ』花風社
中田大地,2011『僕は、社会(みんな)の中で生きる。』花風社